『阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)』
「栂尾(とがのお)明恵上人遺訓」に触れて、
『あるべき姿』と『ありたい姿』における
私の違和感がすっきりしました。
私はこれまで
『あるべき姿』と『ありたい姿』は絶対的に違う!!
と思ってきました。
『あるべきって好きじゃない』
単純に強制力があるような『感じ』がしていました。
恥ずかしながら、ただそれだけの理由でした。
私はコーチングのお仕事をしておりますが、
コーチングでは
「ありたい姿」
という表現をよく使います。
クライアントが
未来の自分の理想像を映像化(visualization)できるくらい、
ありありとイメージできる
ようなサポートをします。
そのありたい姿に向けてプロセス行動が明確になっていく時の
クライアントの推進力に触れると、
ほんと、このお仕事をしてきて良かったと感じます。
未来のありたい姿を描く。
私は『ありたい姿』が大好きです。
『主体は自分であること』
未来について考え、
主体性を持って自分の理想に
フォーカスするところに魅力を感じます。
最近、MBAの学びを通して、
『あるべき』という言葉が飛び交い、
正直、うんざりしておりました。
『なぜ、あるべきなんだろう?』
『あるべきとは滅私か?』と感じることもありました。
そこで、
以前、親愛なる友である加納弓さんに教えて頂いた
阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)
「栂尾(とがのお)明恵上人遺訓」
に少し、触れてみました。
明恵は鎌倉初期の僧で、東大寺の学頭にもなった名僧です。
彼は、阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)を座右の銘にしていたそうです。
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『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。
僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。
乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。
このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』
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なるほど!
『私は私のあるべきようわ何か?』
を常に問いかけていくことが大事なんだ!
私は私のあるべきよう、あなたはあなたのあるべきよう、
学生は学生のあるべきよう、管理職は管理職のあるべきよう・・・・
たくさん出てくる(笑)
ここでは2つのポイントを発見しました。
まず、『承認』
自分、他人、立場など、
それぞれが認め合うこと。。
そして、
『今・ここ・自分』の立ち居振る舞い
リアルタイムのあるべきようとはどんな行動をしたら良いのか、
『臨機応変』さが求められるのではないでしょうか。
よって、
『ありたい姿』は未来の理想を示し、
『あるべきようわ』は現在の行動を示す。
時間軸が違いました。
あ~すっきり!
周りが、どう「あるべき」を使おうとも、
私は、常に『私のあるべきようわ何なのか?』
常に問いかけられる人間でありたいと思います。